昭和42年01月26日 夜の御理解



 信心を元にし、御教えを元にした生活にならなければ、神徳は勿論ですけども、人徳も受けられない。又、信心を元にして、なるほどあの人は信心しござるから、言われる事、される事が違うという様な、やはりひとつの人徳を受けていくにも、やはり信心の教えを元にした生き方をしなければならないという様な事を思うんですけども。
 今日、私、午後から風邪の具合が悪くしてから休ませて頂いとりましたら、秋永先生と正義さんと二人で二階に上がって参りましてから、色々ご造営のあちらの事の打ち合わせと、それから部屋の事についての何ですかねぇ、二人の話を聞いとりますと、秋永先生は部屋の事についての具体的な案があったからというて、正義さんは正式に今度相談しとりました大きな石の事について参りましたが、もう本当に自分の事として打ち込んどりますとですね。
 それを私感じます。だからそこは私がはばかって、例えばおかげを頂きますとか、これならというその例えば秋永先生の話を聞いておっても、正義さんの話を聞いておっても、その何ですか、自分の事としてのその御用に打ち込んでおるというか、そういう様な在り方と同時に、特にその後に正義さんがお届けいたしとります事の中に、今度、去年でしたですか、お許しを頂いてから、柳坂に大変良い石の出る山があるので、それを一山買わせて頂いておりました。
 そしたら今度は大変な有力な採石場の方が、あすこ一億五千万円からの資本で、あの辺の山全部買い取られて、採石をなさっておる。それが丁度正義さんが買っておる、そこが真ん中になるそうです。どうでもそこに必要なところですから、あなたも採石場なさっておられるのだから、採石て言うか、石を割るんですね、割るあのなさってるのだから、あの譲ってくれというても、それはご相談が出来れば譲っても良い。
 そのこちらの、いうならば、希望通りのお金を出す。でなかったらこちらの方に石を割っておられるその石を、十分取って頂いて、それだけの、株式会社だそうですから、株主としてしても良いからと言う、非常に紳士的な、向こうから見えた方も、立派な方だったそうですが、そういうて見えたから、どうさせて頂こうかという様な、お伺いでもございましたんですけれども。こういう事なんかはもう、知恵やら力ではでけない事でございますもんね。
 これはあの、本家の方と、ああして別れるのが、まぁ変な別れ方でしたから、ま、いうならば本当に仕事は出来ない様な状態でしたけれど、これもあのまたお父さんが亡くなられてすぐの頃でしたですね あの、日田の方に山を、これはもう買わなん様になっとったけれども神様は、どうでも買うておく様にというような事だった。それが今の久富建設の土台になる資金になったんですからね。
 今度とても、本当にいうならば夢の様な話です。けれどもそれは、どういう風に私はご神意を頂いて、こうという事は申しておりましたけれどもです。どちらに致しましても、そのおかげを受けるということは、やはり私は神徳を受けていかなければならん、人徳を受けていかにゃならんけれど、人徳とてもです、やはり信心に基ずいたところの人徳でなからなければ、天地の働きがないと思うですね。
 世間には非常に人徳のある人がおります。清貧に甘んじておる、まぁ村なら村の人望はある。けれども難儀をした人達もありますけども、これは何処までも信心に基ずいてのいわゆる神徳を受けよ人徳を得よとこう仰います。神徳を受けて、信心によって受けるところの人徳でなからなければ天地が動きなさらないという事、天地が動きなさるという事は、とてもとても、本当に私共が想像も付かないおかげに進展していくのですから、この一事からいうても本当になるほど例えば正義さん達の場合なんか、あんな仕事しとりますから、敵もありましょう味方もございましょうけどもです。
 例えば善導寺の町なら町の人達が言うのにです。もう本当に間違いのない人だーで通っとりますですもんね。業界でもやはり、間違いのない男として通っておる。やはり人柄だけではなくて、やはり信心を元にしてからの事だとこう思うのですよね。どうぞ人徳を得なければなりません。為にはね、神徳を得てという事は、信心をもってです、信心をもって私は当たっていく。
 信心をもって教えに基ずいた生き方、勿論そこから自ずと神徳も頂けていく事でしょうけれども、神徳に基ずいたところの人徳、信心に基ずいたところの生活という様なものが身について参りますところからです。いわゆるあの人は人物だ間違いない確かなという信用もつくと同時にです、天地がその人の為に働きなさる、天地をバックにしておる。誰が何というてもこれほど強いものはないですからね。
     どうぞおかげ頂かれました。